「あー。何か久し振りに食ったわコレ」
甘い。昔はガツガツ食べれていた記憶があるが、今となっては甘く感じる。
とはいえ甘すぎるというわけではなく、そして何より懐かしさに桐ケ谷は笑った。
菩提樹寮のロビーのテーブルにはドーナツチェーン店の箱が置かれていて、その中には豊富な種類のドーナツが詰まっている。
それは、先程朝日奈が今週頑張ったご褒美に、と買ってきたものだった。
自分の分だけでなく、明らかに複数人で食べることを目的としている量だ。
帰ってきた朝日奈と、その時たまたまロビーで出くわした桐ケ谷、刑部、そして凛と流星がテーブルを囲んでいた。
「おいしい…。僕も久し振りに食べた」
いつも凛に止められるから。とぽつりと漏らした流星に、隣に座る凛がわざとらしい溜息を吐く。
「流星が食べ出したら一個で済むわけないじゃない…」
どれだけカロリーあると思ってんの?と口にしながらも、凛はその中で比較的軽めであるドーナツを口に運んでいた。
恨むよコンミス…と凛は向かい合わせに座っている朝日奈にジト目を向けるものの、当の本人といえば美味しそうに、幸せそうにドーナツを頬張っていて、効果があるとは思えない。
「大丈夫だよ凛くん。こんなにいっぱい買ったんだし、皆で食べればOKでしょ?」
「いっぱいあればそれだけ流星が食べちゃうの!」
そして、案の定朝日奈はのほほんと言うものだから、凛は「まったくもう…」と溜息を零すしかない。
そんな凛の反応もなんのその、一個食べ終わった朝日奈がもう一個箱から取り出し口許に運ぼうとした、その時。
「お、新作」
それはあまりに自然な動きだった。
朝日奈の隣から、そんな声と共に手が伸びてくる。
その手が朝日奈の手へと重なって、くい、と引き寄せた。
突然のことに、朝日奈の目が丸くなる。その口が開かれて声を発するより先に、朝日奈の手にあったドーナツは円の形が崩れてしまっていた。
「………」
「…ン、中々イケんじゃんこれ」
自分の唇についた粉砂糖をペロリと舌で舐め、桐ケ谷は満足げに頷いた。
ピシ、と固まってしまった朝日奈には気づいているのか、いないのか。
するりと手を離すと、「ごちそーさん」と桐ケ谷はソファから腰を上げ、部屋へ戻るべく歩き出した。
そして朝日奈といえば、やっと状況を飲みこんだらしい。みるみるうちに頬は赤くなっていくし、ぷるぷるとその肩が震え始める。
そうなる内に、真っ先に動いたのは刑部だった。口に運んでいたコーヒーカップをテーブルに戻すや否や、己の両耳を塞いだのだ。
そして
「きーりーがーやーさーん!?」
朝日奈の怒りが爆発した。
無残な姿になってしまったドーナツを一旦テーブルに置くと、すっくと立ち上がり怒りのままに桐ケ谷を追いかけていく。
その声に桐ケ谷が声を上げて笑うのが聞こえた。
「ちょっと貰っただけだろー?」
「ちょっとどころじゃないです!桐ケ谷さんの一口は大きいんですっていつも!!」
「いてっ…!あんただってこの間俺のカレーパン食っただろうが」
「一口の大きさが違うんですー!」
遠く、ケラケラと笑う桐ケ谷の声と、怒りを露わにする朝日奈の声、それにドンドンというややくぐもった音がする。
あ、これ桐ケ谷さん叩かれてる。と判断するのが凛には精一杯だった。
流石にその姿を見に行く気にはならなかった。
そして凛が冷静に全ての状況を判断する前に、二人の声は遠く遠ざかって行く。
「…………………」
残されたのは、凛と流星、そして刑部の三人。
やれやれ、と大袈裟な溜息を零し、刑部は唯が残して行った食べかけのドーナツが乗った皿を持って台所に向かおうとする。
誰も手をつけないようにとの配慮だろう。
「……前から思ってたんだけど、あの人達どういうパーソナルスペースしてんの」
少しずつ状況を飲みこんできた凛が、目の前で繰り広げられた光景に今更な疑問を口にした。その様子に、刑部も思わず苦笑いを零す。
「弓原、気にしない方がいい。あまり気にしてるとこちらが疲れるばかりだよ」
「なんであんたは流せるわけ……?」
刑部の助言があまりにも的確だったので凛が視線をやれば、刑部はただ一言、「慣れているからね」とだけ返した。
ちなみに流星は、そんなハプニングにも動じずひたすらドーナツを食べ続けていた。