雨が降り出した。
激しい降り方ではないから、長居しなければどうというものでもないだろう。
ああ、だけど彼女の体が冷えてしまうから、これは早いところ回収して離れるべきだろうか。
いや。
それはできない。
それだけはしてはいけない。
嫌な予感はしていた。
『ホールが使用禁止になった』
その一報が彼女の耳に入ったとき、隣に佇む刑部の顔を見れば明らかだった。
伊達に長く一緒にやっているわけではない。
その性格は十分過ぎる程理解している。
大当たりだ。
全くあいつは、どこまでも水臭い。
自分には関係のない話だと突っぱねればいいのに、それができないのがあいつの弱さだった。
それがあいつの弱さで、甘さで、優しさだ。
だけどそれもしょうがないのだろう。
あんなに真っ直ぐ、世界を目指している彼等の夢を手折ることなんて出来やしない。
それが自分の家柄のせいでその道が閉ざされてしまうなら尚更のこと。
そんなことを、許すわけがない。
「────……」
耳を澄ましたところで全てが聴こえるわけではない。
ただ、刑部の言葉に彼女が俯いたのがわかった。
そして、刑部が踵を返す。彼女は俯いたままだった。
頃合いだろう。それを確認してから、桐ケ谷は寄り掛かっていた幹から体を離した。
けれど。
「っ………こんなの、間違ってる!」
確かにその言葉が聴こえた。
はっと桐ケ谷が顔を上げると、刑部もそう声を荒げた彼女に驚いたようで、足を止めて振り返った姿が見えた。
「行きましょう、刑部さん」
強く挑むように、その視線を刑部へ真っ直ぐ向けながら彼女は言う。
雨の中でも、その瞳から頬に流れるものが雨ではないことぐらいわかった。
「みんなで一緒に、世界に行きましょう」
は。と。
彼女のその強い言葉に、知らずに桐ケ谷の口から息が漏れた。
「私が連れていきます。刑部さんも、桐ケ谷さんも、みんな連れていきます!」
家がどうだろうと、音楽を愛しているのなら、楽しみたいのなら、そんなものは関係ないと思っていた。
あの頃まではそう思っていた。
けれど世間は許さない。勝手に恐れられ、勝手な理由であいつは追い出された。
許せなかった。そんな勝手が許せなかった。
それならそれでいい。理解されずともいい。俺たちは一生はぐれ者でいい。
そう思っていたのに。
大した奴だ、本当に。
最初こそ夢物語と思っていたけれど、彼女の熱意は本物だった。
路上ライブで演奏している時の彼女の姿は本当に楽しそうで、自分達が夢見たものと変わらなくて、だからこそ惹かれたのだ。
彼女になら、彼女の夢になら、賭けてもいいのではないかと。桐ケ谷も、そして刑部も、思ったのだ。
そしてそれは────
どうやら、間違いではなかったらしい。
なら、自分に出来る最良の行動はきっとこれしかないのだと確信した桐ケ谷は、今度こそ歩き出した。
ああ、まったくあいつはしょうがない。
女の子を泣かせてどうするんだ。なあ?
そこまで言われて、腹を括らないわけにはいかないだろう?